2011年3月20日日曜日

シュリアルだけど。











今日、オリヴィエの運転する車でミツワスーパーにむかっていたとき、唐突に思い出したことがありました。ずっと前にパリにいたときのこと。パリから郊外へ出る高速道路を走る車に自分は乗っていて、助手席にいる。前には黄色い小さな車のスマートが走っている。それが突然、右側の壁にこするようにぶつかったかと思ったら、変なジャンプをして回転してそっくりかえってしまったの。車の天井が地面についた。それがまた再度ジャンプして、またそっくりかえって、なんと元の位置に戻った。ありえない。しかもそのままなにもなかったように走りさっていった。


こんなことが急に頭に浮かんできて、こんなことってあったっけ、それとも夢だったのかな、とオリヴィエに言ったら、ああ、あったあったそんなことが、と。 surreal 、sur はフランス語で「上」だから現実の上、非現実なこと、という言葉が頭に浮かんできた。シュリアル。ありそうもないこと。




もうひとつシュリアル。オリヴィエが見たテレビの話し。映画レインマンの主人公にインスパイアを与えた現実の人のこと。彼は記憶力が飛び抜けていて、一万二千冊分の本をすべて記憶していたらしい。しかも読むときは左右の両ページをいっぺんに読んでいた。人間は脳のすべてを使っているわけではなくて、一般にわたしたちが使っている右脳の一部に深刻なトラウマをもった人は補完的作用として左脳のある部分を使うようになり、そのエリアがこういうびっくり機能を持っているという。



ということは。今は使っていないけれど、使えたとしたら、テレパシーとか動物と話すとか植物と話すとか、そういうこともできることなのかもしれない。ドリトル先生はずっとマイヒーローだったけれど、もしやわたしだってね?アニメや物語の世界だと思っていることがけっこうな確率でほんとうはたぶんある。









次は先々週くらいに読んだ記事のこと。量子力学の世界でどんどん進むと、この世のすべては原子のレベルで見ると揺れているという。人間の目には見えないけれど、森羅万象すべて。声はもちろん、書いた文字でさえ。そしてその揺れは響きあい、エコーする。お互いに。



あたたかい言葉をもらってそれが忘れられないとか、大切なひとが心をこめて書いてくれたハガキを大事にしてるとか、そういうのはたくさんの人にあるんじゃないだろうか。言葉はちゃんとエネルギーだから。だからわたしも言葉の力を信じている。



Jちゃんはメールにこう書いていた。日本はモノは足りているけれど、みんな心が不安、と。東北から遠く離れているわたしでさえ不安になったわ、悲しくなった。わたしは不安なことがあったらムリに押し込めないで口にした方がいいと思う。聞き上手なひとに聞いてもらおう。泣きたいときはうんと泣いた方がいいと思う。そしてそんなときに一緒だったなら声をかけてあげたらいいと思う。言葉がでてこなかったら、肩をぽんぽんするもいい。物理的になんていうのか知らないけれど、原子のまわりのエネルギーがきっといい感じにゆれてくれる、エコーしてくれると思うから。







元気を回復するのに必要な時間はみんな違うもの。一日で元気になれるひともいれば何日も何年もかかるひともいる。違ってふつう。だから、泣くことを我慢せず、焦らずすこしづつ元気になってほしい。今日は、たくさん泣いたという友だちのために書きました。