2010年9月30日木曜日

9月の風景。









九月を迎えると毎日のように思い出すのが September Eleventh のこと。ママはブリーカーストリートの172番地に住んでいた。









9月11日の混乱のあと、ニューヨークのひとたちはとてもやさしかったことを覚えている。知り合いに会えば、無事でよかったよとハグしてくれたし、友人知人の安否をかならずたずねあった。テレビでは声高に報復戦争を連呼する他州のひとたちがうつっていたけれど、まわりにはただのひとりとしてそんなことを言うニューヨーカーはいなかった。報復なんかしたら、ニューヨークが苦しんだ気持ちを別の誰かにも負わせることになる、そんなことを望むひとはひとりもいない。






あの日から数ヶ月間のマンハッタンに住んでいたひとなら、誰もが思い出すと思う。街中にあふれていたフライヤーを。アパートの角を曲がったシックスアベニューには日に日に、あの日に失ったひとたちの情報を求めるチラシが増えた。彼らのことは Loved one と呼ばれた。「このひとの、最期を知っているひとはいませんか」という手書きコピーのフライヤーが万と溢れていた街。家族や恋人たちはどんな気持ちでこのフライヤーを作ったのだろう、と思いながら、みんな足を止めた。九月のことを思い出すときに、なによりも強く頭に浮かぶのはあの風景。









歴史は、残ったひとたちによってかえられていくものだから、レオンたちが大きくなったときにはどんな風に語られることになるのか分からない。それでも、少しでも自分が見たものをできるだけそのまま伝えることができたらいいとおもう。