2012年8月29日水曜日

パリロ







8月に入り、パリロのことを何か書いておこうと思っていました。家族にとってとても大事なことだから。
コリアンにとってパリロ 8.15 は、一度は失ってしまった国を取り戻すことになった大きな日であり、そして自分たちの言葉と自分のほんとうの名前を取り戻した日です。でもそのあと朝鮮戦争が起こり、南北に分断されたきりまだ何にもおわっていません。
今も休戦状態である朝鮮半島のことを考えると、北で必死に毎日を生き抜いているひとたちのことを考えると、オリンピックをテレビで見ている自分のふやけた姿を思うと、自分の気軽で気楽で自由な毎日がほんとうに夢か嘘みたいです。



わたしは日本で生まれて日本で育っても、パスポートは韓国ででも韓国生まれのリアル韓国人とはまた違う、在日3世。アイデンティティについては今も探している部分があるけれど、それでも自分はコリアンだという気持ちは深いところで落ち着いています。
自分が今ここに生きていられるのは、ハルモニやハラボジたちが精一杯生きてくれたおかげ。母語は日本語だからそれを大事にしていきたいし、レオンとエマにも丁寧に教えていくつもりだけれど、朝鮮半島のこと在外コリアンのこと、それはしっかり伝えていきたい。自分の背景を敬うことは、今のこの混沌とした世の中でちゃんと前を向いて生きて行く軸になってくれるはずだと思うから。



レオンとエマは将来、どんな風に朝鮮半島や日本のことを見るようになるだろうと思いながらパリロを迎えました。どこにいても色んな人がいる。社会のふるまい、大人のふるまいを見れば見るほど、自分がどんな人間になりたいかということを考える機会。無関心でいない、ありのままを見るようにする、想像力をもつ、ビジョンをもつ。
もう仕事をやめて9年です。でもいつか38度境界線がなくなる時がきたら、そのときはその社会に自分のエネルギーを惜しみなく提供できるようでありたい。